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■建築の使命
今日3/11日は関東大震災からちょうど1年、今なお大きな傷は癒されていない。天変地異は時々忍び足で訪れる、事前のノックに、誰も気付こうとしない様に見えるのは、私だけであろうか?偶然の!千年に一度の大災害!とマスコミは伝える。いえ、生に偶然などあり得ない。恐ろしいほどの物欲の中で、意識、無意識を問わず風の様に過ぎ去ったものがなかったろうか?そして、このまか不思議な現実世界に気づいていないだろうか?全てのイベントが偶然でないとしたら我々は何かを見落としているに違いない。過去の歴史が師匠だとしたら大いなる変化が訪れるサインであるかもしれない。過去からの進化ではなく一気に飛翔するがごとくに。
長い事学んできた価値観が崩れさる。
歴史の教科書は訂正が繰り返され、グルメと同時に美容の本が完売し、ビールのコマーシャルと同時に糖尿病の治療法が流され、外貨を稼ぐ筆頭株主の車の隣ではガソリンが垂れ流される。雨が降ると野菜が値上がりするから恐ろしい。
新しい時代の手掛かりなど、とても見つけられそうにないように見える。
我々が知る限りの時代、常に限られた認識の範囲内でのみ物事が生起すると願い思考体系を築いてきたはずであるが、現実に起こる事は常にその範疇を超えている。
この時代を直線の時代と仮に呼ぶ事にする。学校では常に教えるものと教わるもの、社会に出てからは給料を払う者と、受け取る者、支配するものとされるもの、ここでの抜け駆けは許されない。常に対立、緊張、従順が強いられる。スポーツも時間と枠から出ることを許さない。ありとあらゆるものが見えない直線によって分断され、見えないが故に、自身が加担している事にさえ気づかない。
この見えざる直線からの気づきが次の時代の息吹を感じさせてくれる。正に対立から調和へ、である。
その時代の文化は形に及ぶ。直線に彩られた文化は直線で構成される。四角な教室が直線的思考を生み出し、直線なる思考が四角な教室を再生産して、社会に増殖してゆくのである。古来日本では輪を持って貴しとした、そこでは教えるのではなく所作を学ぶのである、共に同じ方向を見て。蹴鞠は現代のスポーツの様に境界も時間もない、対立もなく楽しみのみが継続する。
まさにそこに空間の重要性と意味合いが隠れている。
何もないところに柱を建てると空間が出来、思考が始まる。直線の世界観の中では物のみしか識別出来なかった。円の世界観は空間から始まる。空間と人(潜在意識)がまさに対話するのである。
此処に建築の大いなる使命が潜んでいる。
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