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■現実は夢の連続
ホームページを更新するのはなかなかきつい。
忙しいと言っては引き延ばす。もう、1年が経過した。
そろそろ更新しなくては天然記念物になりそうだ。
死は決して待ってくれない。
今回は人間の夢について。
人は限りなく制限された5感の中で生きている。視覚は一部の波長のみを捉え、聴覚は犬のそれに遠く及ばない。その真っ只中で生きているが故に、認識する事は大変な困難を伴う。そして、最大の困難は、今目の前で展開される事象があまりにリアリティーを持っていることであろう。それも、エゴというフィルターを通して見る為に、全てがゆがんで見える事である。歪んだ視野に真実は決して映らない。肉体が消え去るその日まで付きまとう事となる。因果関係を認識する事は容易い、だが生は因果を超えた壮大な世界を形づくっているといえるだろう。二人の喧嘩が世界の気候を変えることなど想像の範囲を超えている。
地球の意識、アジアの意識、日本の意識、県の意識、町の意識、村の意識、そして一番小さな家庭の集団という意識がその人の意識形成に大きく係わっている。人格という種子に意識の外皮を形成する。これはある種の催眠術に近いと考えられる。ハードディスクに記録されるデーターの様に人の過去を形成する。その テ ゙ ー タ ーを私と取り違えることから、その錯覚から人は逃れられない。記録は私とは別のものであるのに、この真実に気付かない。DVDの中身が違うといって争ってみてもしかたあるまい。
我々が見ている、あるいは感じているこの世界は真実とはほど遠い。よく考えてみれば、今私の使っている机は昨日大枚を支払って購入したものであり、明らかに私の所有物であるが、寿命とともに塵となり、ましてや天国までは持っていかれない。そのような物をはたして真実と呼ぶのであろうか?では何のために椅子があるのであろうか?そう、椅子に座る為に。座るという経験をする為に連続した作業の一員としてまさに存在する。そこに、見える世界は夢だと表現する意味がある。
今日はここまでです。次回はこの続きを!
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