ARCHITECTUAL OFFICE MUSOU

Village of dogon

ドゴンの村

 

 

マリはアフリカ大陸の西方、オレンジ色の所で御座います。
形は丸くありませんのでご注意ください。


母なる大地、アフリカで育まれた文化とは如何なるものであったろうか?貴方は自身が旅する為の最適な住まいを考えた事があるだろうか?我々の記憶にない時代、高次より伝えられた円形の村が今も人々の生活を支えている。現代の近代化された我々の生活と比すると、あまりにも「未開の地」という言葉が、はしゃぎ回りたくなる様な風情がそこにはある、視覚に映る風景からは計り知ることの出来ない叡智が隠されている。円形に作られた住居(すべてではない)は寝室、子供室、倉庫、老人室等各用途ごとに作られ、中央の広場(来客用を兼用)を中心に一家族の生活が営まれている、この円形住所を1単位としてより大きな集団がが形成されている様を見る事が出来る。建物そのものの壁は粘土で造られ屋根は藁葺きであり、勿論床は土間、素足の生活である。

最初に物理的世界を眺めてみると、テレビ、ラジオ等が無い事により情報量が極めて少ない。インフラ(電気、水道、ガス等)が整備されていない、加えてそれらを使用する機器が無い。移動は徒歩が主な役割を担っている。住居が品祖である等々数え上げたら限がない(今はNPO,企業等により、生活の向上がかなり図られてきているいる様であるが)。「無」ばかりが連続する生活を想像してほしい、我々がかなり正確に知りうる事が出来る江戸時代も、「無+」の時代であったろうと想像させる。事実100年程時代を遡ると、毎日の生活用水は川又は井戸からくみ上げ、薪を燃料としていた。農家の間仕切りには蒲生が吊るされ、囲炉裏は生活に欠かせない重要な設備であった。寝具のマットには乾燥した藁が詰められ毎夜の眠りを誘った。このような「無」の生活はつい最近、50年ほど前までは、ごく普通の事として見かける事が出来た。さてここで考えてほしい、宇宙の原則を。この世界は+と-、明と暗、裏と表で出来ている事を。もしこの比較が無かったら、世界の把握は不可能だ。比較が感情を乱さなかったら、私は誰なのか解らない。

素足で歩く事は、宇宙からの電波を受け大地に流す導体としての役目を果たしているに違いない。そこには宇宙の中にあり地球と共に生きる知恵がある。靴の恩恵は計り知れないが、皮又はゴムによってエネルギーが遮断されてしまっているようだ。住まいも又電波の受信体である(後記)先月火災に合って焼失したゴシックの塔も、電波の受信体として設計されているはずである。我々の意識は未だ十分な広がりを見せていないが、金星から来たと言われるトンボは、どの様な強風の中でも自由に飛翔し、瞬時に障害物を避け、停止する事が可能だ。毎年きまって我家にやって来るオニヤンマの姿には感動せずにはいられない。全ては陰影の中でその特徴がより際立つといえる。矩型を規範とした現代の生活空間を見てほしい、もしその空間が円を基調とした空間であったら、どう感じるであろうかと(円に関する考察は後記)円形だと机が収まらないとか、隙間が出来てもったいないだとか、建設費が高くなりそうだとか、加えて効率が悪いとか、沢山の否定的な返答が聞こえてきそうですが(笑)効率的:そこには管理者(為政者)としての思想が垣間見てしまうのは私だけではあるまい。人が人を管理する世界観ではなく、人が人と共に生きる世界がそこにはある。

 

 

5m格子にて表示

 

 

参考文献:住総研 研究年表No.26、1999年版

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

建築物に残る「マリ」の痕跡(韓国):懸魚及び六葉

 

各時代の寺院建築様式

 

寺院を訪問する機会がありましたら、ご参考に。
ああ、日本建築には沢山の動物が住んでいます、
何匹探すことが出来ますか?


 


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