ARCHITECTUAL OFFICE MUSOU

Creation of from day to day

創作の日々

 

23歳の春の事である、4月1日、日曜日、面接に来るようにとの連絡を受け取る。2時間ほど車に揺られて到着してみると、そこには9階建のビルが建っていた。伝えられたのは5階である。初めて乗るエレベーターに酔った、その気持ち悪さに耐えながら事務所のある入口にたどり着く、あいにく鉄扉の扉が閉まっていたので取っ手を回して引いてみた。んん、開かない。引いてダメなときは押してみろ、押してみたが諺どおりにはいかない。予定の時間だが遅れているのか?直立不動の体制で待つこと1時間・・・・・んんん流石の私でもおかしいと気付かづにはいられない。4月1日、今日は?エイプリルフールではないのか?これはとんでもない会社に来てしまった様だ、その嫌な予感は的中する(爆笑)3年前に師匠は他界した、数えきれない程のお叱りを頂きましたが、その御蔭で幾分なりとも仕事をさせて頂くことが出来、感謝にたえません。又オーナーの方との貴重な縁を頂き歩んで来られた事に感謝いたします。以下にその歩みの一部を掲載します。

 

最初に自宅を、次に親戚の住宅を、そして、初めてのオーナーの仕事である。最初のフィーリング「青」のままに。青を建物に使うのは難しい、藍染の布であれば申し分ないがそれは到底かなわない。選択としてはクロス貼りに落ち着くが、質感を表現するのは望みえない。居間に「しとみ戸」の再現を試みる。藍(あい):インドシナの南部の原産といわれています、日本には飛鳥時代に中国から渡米し広く栽培されて染色または薬用として使用されていたようですが、現在では徳島県のほかは各地でわずかに作られているだけになりました。年草で茎の高さ70cm前後。葉を乾かすと藍色になるので、藍色の色素が含まれている事が分かります。9月頃、穂状の小花をつけ、花は紅色のものが多いですが白花もあります。藍は水色(浅葱)から藍色「縹」(はなだ)、紺色までの青色のすべてを染める天然色素の代表的な青系色素です。

 

この頃より公衆トイレの必要性が叫ばれ始めてきた。公衆であるが故に便器が壊されたり、鏡が盗まれたりという被害にあいやすく、冬の凍結防止にも気が抜けない。人の体から外に排出される物は全て「汚」として扱われる現代の社会意識、匂いさえもしかりである。入口の脇に樹木(匂いの出る)を植えたが、枯れてしまった。嫌われた訳でもあるまい?

 

昭和30年頃の集落の中央部分、丘の上に縄文遺跡が出土、この遺跡を発端として南に数個の遺跡が発掘される(背景は北アルプス)中央に見えるのが蓮華岳、画面の左端が北葛岳、中央が蓮華岳である。又、中央中ごろに見える大きな民家は、家系が絶えてしまって今は無い。(当時の写真を見ると現在と何となく違う?)

長方形の金型を斜めに壁が走り、北極星を暗示する。片方に「公」の場を、そしてもう片方に「私」の空間を配置してみた。広い縁側からアルプスの街並みを望むことが出来る。(現在は日向ぼっこをする人を見かけなくなってしまった。いや、縁側が無くなったので日向ごっこをしなくなったのか?定かではないが)

 

丸いトイレと四角いトイレ。貴方ならどちらへ?私なら、両方入って感じてみたいと思う。知識の蓄積は必要であるが、知識は経験の裏付けによって叡智となる。叡智となれば、もう造る前に解ってしまうに違いない。

 

建物が生命を持つとき、オーナーの意志と理解、製作者との連携が無ければ何事も成しえない。一人たりとも欠けてはならない。先人はあえて未完成部分を残してきたが、あえて待たずとも建物は日々変化して行く。不変を願う時、変化が本然故に不変の逆襲が開始される。外壁は3ツの楕円によって構成されている、楕円同士を接続する方法は今でもわからない(笑)

 

アルミサッシュの普及と共に木製格子が激減した。気密性と防犯から解放されたからであるが、これが心をプライバシーと読み替えれば、この出来事が、心の開放プライバシーの開放のサインであったろうか。格子目的の一つには、自身の存在を隠して外界を覗き見る装置である、この密かな楽しみの消失でもあった。トイレと風呂、加えて寝室はその最右翼である。ここでは格子を多用した。

 

日本全国に見ることが出来る能舞台、大小様々な舞台が造られてきた。神の降臨する依り代としての神社と共に、かなりの数にのぼるはずである。この様な時代があった事に驚きを禁じ得ない。

 

ハザードマップが一般的でなかった時に、80cmの水害を想定して床高を1.0mとする、オーナーの知恵があった。土地に十分な栄養と、周囲に十分な広さがあれば「ヤマボウシ」は巨木になる。初夏には白い花を咲かせ、実を食する事が出来る。

 

当時、日常的に使われていた板葺き屋根、雨漏りさせないようにするには知恵がいる。私の先祖の一人は板葺き職人であった。途絶えた技術を復元するには、長い思考錯誤を必要とする。

 

人口密度が高い都会で「自然」感じるのは難しいに違いない。せめて部屋の中だけでも工業製品から少々距離をとりたいものである。

 

墓地制作の依頼を幾つも頂いた。もう、10数か所を超えたろうか?この頃は後継者がいなくなり、永代墓地に様変わりである。

 

コンヘ°は、戦後発展した建築の設計競技の一形式である。1ケ月を要して挑戦(暇でないと出来ません-笑)その後どうなったかって?そんなこと聞かないでください。

 

鐘楼建設時の写真である。梵鐘は富山県高岡市にある老子製作所に依頼。庫裡にある懸魚は厚さ6-7cm、約200年の歳月で大半が劣化する。左下は収録時の朝日放送のアナウンサーです。

 

1404年に開山、それから600年。2004年に開山祭が行われた。偶然とはいえ、嬉しい限りである。先人には感謝しかあるまい。山門:松川村より廃仏毀釈時に購入した観勝院を移築したものである。当時は板葺き→萱葺きに改修されたようである。移築後は萱葺き(鉄板覆い)から本来の萱葺き戻すこととなった。ちなみに萱葺きの寿命は40年程である。ああ、40年待って葺き替える人はいない、毎年痛んだ所から葺き替え、毎年萱を刈りその時に備えるのである。

 

姫路のキリスト教会である。この頃より3次元製作が自由に、センスは保証の限りにあらず。

 

風が自由に吹き抜ける。そんな思いをテーマに1階から3階まで、南北格子の住宅である。木であれば申し分ないが防火地域では許されない。燃え代を加味すると大きすぎる。防火は江戸の重要事項であった。

 

円と直線は永遠のテーマである。形の持つ力は、おいそれと開示されない。自然が持つ無限の造形は、人間の本来の姿を暗示する。

 

鉄道は近代化に向かった日本の、実質的な象徴の一つであったが、民営化と共に当初の使命感は慣れと時間の中に薄まっていった。勿論、移動手段が多岐に渡ってきた事を加味しない訳にはいかない、ましてや人工減であればなおさらである。造られた建築物の変遷はそれを物語っているようだ。

 

中庭の樹木は年月を経て大樹となる。毎年の選定作業は、庭への思いを封じ込め、オーナーの心を映してゆく。風は中庭に屯して右に旋回しながら大空を目指す。民家に生きた人々は、囲炉裏の縁で湯を沸かしながらたなびく煙の先を追っていた。

 

円の誘惑からなかなか卒業できない(笑う)。工業製品は円を目指して来なかったから不思議だ。自然界に直線など存在しなく、不要な物など存在しない、雑草などと表現するのは失礼だ。たが、人の目には不要物に見えるから
困ったものだ。

 

 

シンプル(単純)を目指す。ところが、これが厄介だ。夏は暑く湿度があり、冬は寒く乾燥する。人は夏涼しく湿度は低く、冬は暖かく適度な湿度を必要とする。これが厄介に拍車をかける。構造体のみでは対応に限界があり、複合的にすれば予算がかかる。厄介の拍車がさらに増える。さて、どうしたものか?

 

 

上部の写真が計画時、下部が実施時の写真である。どういう訳か木造は嫌われてしまった。木造、鉄骨造、鉄筋コンクリート造。あらゆる構造が選択できる時、どれを選ぶのだろうか?何となく、そのような事はあり得ない。社会の成熟と共に選択の幅は無限に広がってゆくように見える、それに限界を設けるのは人間の思考だけかもしれない。

 

戦後コンペへの当選は建築を目指す者の目標であった。不足から充足へ、日本全土が揺り動かされたエネルギーは偉大なものを作り出す夢でもあった。その夢が経済優先にすり替わったのに気づいただろうか?人口密度が増加した都市空間は意識の密度も又必然的に増加の一歩を辿り、源を思い出すことが極めて難しい状況を作り出してしまった。田舎はもう無いのかもしれない・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

左側が玄関、中央奥が居間、台所、手前が茶室である。

 

 

 

 

 

 

美術館の計画は難しい。生存と帰属の果てに、経験の充足の彼方に立ち現れる姿を追い求める。建築が其の思いに如何に寄与するか、試行錯誤が続く。

 

 

 

設計を業としていると、時として水子が生まれる。水子は可哀そうだという次元を超えて、母親により多くの気づきを与えてくれる。水子は水子で終わる役目を演じているに違いない。そうなる事を了解して、短い生を駆け抜けてゆくのである。これは無理だぁ!と、言われる時もある。こう言われるのは内心嬉しい、さあ、ここから本当の挑戦が始まる。

 

ディーラーの事務所、展示場謙修理工場である。エネルギー源がどこに向かうのか?移行期の真っただ中である。
日本全国は都市計画によって細かく用途地域が指定されている。用途によって都市を形造ろうという計画である。国道を走ると消費を喚起する看板ばかりが目に付くのは、商業地域が両側に連なっている為である。特別な用事でもない限り工業地域を訪れる事は無い。家族で営んできた小さな家業は、子供達の目指すところではなくなって久しい。

 

古くなった住宅の中にシェルターを作る。中の出来栄えは外観からでは想像さえ適わない。まことに残念な事は、完成後1年ほどして施主が他界してしまった。現在は住人のいない部屋が使われる事を待っている。

 

この大きさは初挑戦であった。最初の難問はソフトが違えば、読み込むと3次元加工に支障が出る事であった。同じプログラムであれば、パートを分けて同時進行が製作が可能であり、作業効率が良くなるのは言うまでもない。

毎日挑戦すると慣れる仕事も、年に数回だと毎回新しく挑戦する事と相成る。一番てこずるのは質感の描写であろう、色彩、模様、流れ、反射率、希望に合わせるのには苦労する。多様なソフトを使用してきたが、かなり難解なソフトに入るだろう。遠目に美しい事は、詳細の緻密さが重要なのは言うまでもない。

 

寺院の和室に和紙を貼る。ビニールクロスはご勘弁と感じるのは、私だけではあるまい?

 

ある野球場の三次元作成図である。昔夢見た事が、今はいと簡単に作成できてしまう、んんん恐ろしい!

 

今はアルミサッシュ全盛の時代であるが、木製の窓にはめ込まれたステンドグラスは、夜の照明に異彩を放つ。

 

コンクリートの舗装面に模様を描く、気づくのは描いた本人だけ(笑)。木漏れ日に浮かび上がる曲線模様は美しい。

 

 

「試作住宅案の1」

 

衣食住という言葉には古典的響きが漂う。戦後75年が過ぎようとしている今、我々は何処に「住」の充足を求めてきたのだろうか?。自身の外側にある世界への憧れ、テクノロジーの鎧を纏う事であったのだろうか?散策の中で思考は樹幹を超えて遥か彼方を彷徨う。



自身で住んでみたい家というのもある。鴨長明の方丈庵を推薦されそうであるが、妻の許しが得られそうにないので断念です(笑)夢は日々拡大し続ける為に、何処かで線引きをせざるを得ない。「今」で了解しても、昨日の「今」が違うように、明日の「今」も又違う。さて、住居の歴史は限りなく長い。長い歴史を遡っていくと、洞穴まで対象としなくてはいけないので、民家が完成された江戸時代の末期辺りを出発点として捉えると理解しやすい。私達は自然界を理解する一つの手段として、世界に隠されたいくつもの法則を探し出してきた。そして、その法則を手掛かりとして分類し定義してきたが、その先の世界には大きな壁が立ちはだかっている。それは「形とは何か?」という命題に外ならず、人間とは?宇宙とは?何かという根本原理と規を一にしている困難さにある。
さて、マツカサやヒマワリに見られる螺旋を借用してみましょう。螺旋は2種類、黄金螺旋とフィボナッチ螺旋である。同じに見えますか?黄金螺旋は永遠に拡大し、永遠に縮小する。言うなれば始まりと終わりは永遠に向かう。フィボナッチ螺旋は始まりが在り、永遠に拡大してゆく。人間の生も始まりが在り、永遠に拡大変化してゆく様はこの螺旋の性質を彷彿とさせる。核爆発は熱と音とエネルギーを大量消費し、核融合は冷を生み出し静かだ。車のエンジンと水の流れを観察すれば一目瞭然であろう。当に自然世界の在り様に他ならない。

プライベートという名のもとに密室空間のパズル化と化してしまった住宅では、空気の流れなど望むべくもなく、機械に頼らざるを得ない。ここでは中央の小さな空間に入った空気が、螺旋に沿って流れる。各部屋の仕切りは気流を遮らない工夫を必要とする。自然界にある貝殻は極めて強固に造られている、中に住む貝を守る為であるが、ここでも厚いコンクリートの外皮で覆う事とした。コンクリートは何で出来ているかって?ああ、石灰岩という石を高温焼成したものです。石灰岩は何なって?その探求心好きです(笑)
生物起源
有孔虫、ウミユリ、サンゴ、貝類、円石藻、石灰藻などの生物の殻(主成分は炭酸カルシウム)が堆積してできたもの。 顕生代においては、古生代のオルドビス紀頃と石炭紀?ペルム紀頃、中生代の白亜紀頃の3回、海生生物起源の石灰岩が大量に生成した。
化学的沈殿
水から炭酸カルシウムそのものが化学的に沈殿したもので、通常、化石は含まれない。石灰分を多く含む温泉水やカルスト泉の沈殿物としての生成が量的には多い(石灰華、トラバーチン)。世界遺産に登録されたトルコのヒエラポリス-パムッカレの石灰棚が有名。日本では白骨温泉など。他には、石灰洞内の洞窟生成物など。(以上kipediaより抜粋)仕上げに使う漆喰もそうですよ。ああ、コンクリートは科学的に結合したものではありませんので、金槌で砕けば容易く元に戻ります。

たったそれだけ?と、思われても困りますので、もう一つ追加します。地球は宇宙に浮いています、何故?知らないとチコちゃんに叱られます。難しい話は調べて頂くとして、アイルランドのところでも紹介したように、自然界は言うに及ばず人体も電波塔であると考えられる。宇宙からの電波を受け地中に流す導体の役目を担う事を考慮すると、建物の高さ、仕上げ材等検討項目は実に多岐に渡る。床材も帯磁率を考慮せねばなるまい。

上記写真 A:進入路

     B:玄関ホール

     C:居間兼応接

             D:食堂兼居間

              E:台所

             F:洗面、トイレ他

             G:予備室

             H:寝室

              I :書斎

一度設定した用途は住宅が解体されるまで、変更されることはほぼありませんから、なぜそこなのか?塾考を必要とするでしょう。ちなみに私は北枕で寝ています。頭北面西そのままで(笑)

 

以下工事中

 

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