ARCHITECTUAL OFFICE MUSOU

Record of the photograph exhibition

写真の記録

 

 

とある神社、石段の最上部から今登ってきた石畳を見下ろすと、西日が敷石に反射して鬱蒼とした周辺の檜の林を照らしている。右肩に掛けたカメラを取り出して構えると、40前後と思しき女性がこちらに向かって歩いてくる。今の季節には似つかわしくないノースリーブの薄手の服を羽織っている。女性が陰から出たところでシャッターを切った。「カシャ」このカメラのリーフシャッター音は繊細だ。女性は右手に何かを握りしめ、視線は右下を見つめていた。そして、木漏れ日に照らされた石畳を踏みしめて祭壇に向かったに違いない。

 

 

 

 

 

 

一番上の写真は皆ご存知の写真、そう、土門拳の筑豊の子供達の一カットである。土門はカメラを片手に仮設の住宅地を歩いてる、其の時ふと見ると少女が一人柱越しに往来を何気なく見つめている。土門に気づいた少女は好奇心と気恥ずかしさから柱に身を寄せた。時を同じくして、物おじない妹が家の奥から姉のもとに駆け寄ってきた。そして土門に声をかけたはずである「おじさんなにしてるの?」あるいは逆だったかもしれない。何かが心に触れて妹がはにかむ瞬間を土門は見逃さなかった。「カシャ」一瞬の刹那を捉えた瞬間であった。最後のその一瞬は土門も知る由が無い、現像が上がるまで。一般に語られるスナップの様に自身を消し去ることは無い、時と場と主人公(+写真家)が造り出すかけがえのない物語である。二番目の写真は昭和の初期の子供達、チャンバラゴッコが主流であった。ゲーム機などとんでもない。その遊びの場に土門は遭遇する。子供達はカメラを構えるおじさんなど全く気に留めていない様に見える。当時は皆が怖がったものである、魂を吸い取られると言って、カメラを向けられると逃げ回ったものである。上下二枚の写真は其の質を異にする。一枚目は未来を共有した時を横断した記憶を、今に再現し確認する作業に見える。二枚目は記録する者としての視点に座している。

 

三枚目の写真は言わずと知れた木村伊兵衛の街角の写真の一枚。この日も木村はライカを首からさげて町を散策していた。ふと見ると交番らしき建物が見える、遠くで眺めていると、二人の職人らしき人物がおまわりさんに向かって何かをしきりに訴え始めた。其の大きな声に呼応するかのように通行人が通り過ぎようとしている。近くで遊んでいたのであろうか子供達も物珍しさに寄ってきた。いや、亀らしき物がいる事を考えると子供達の方が先だったのかもしれない。其の中の一人の子供だけが木村に気づく、その一瞬に木村はライカのシャッターを切った。そして静かにカメラを下ろすと通行人は過ぎ去り、言い争っていた職人さんも解決したのか交番を後にした。もちろん子供達も「なあんだ!」とつまらなそうにその場から立ち去って行った。跡にはいつもと変わらない時が続いている。右側に子供を背負った母親が歩いている、もしかして木村はもう少し画面の右側でとらえたかったのではなかろうか?其の時何かがシャッターを躊躇わせた。子供達が予期せぬ行動をしたのだろうか?其の後一人の少年が木村の方を見つめるのだが、其の時すでに時は流れていた。そんな思いが伝わってくる。土門と木村は生涯一度しか会った事が無かった様であるが、同じ時を共有した事が、表現方法は違えどもこの写真が見事に物語っている。さて、最後の写真は同じく木村作の写真である。何所か大きな敷地を囲む板塀であろうか?立派な古木があり、ポストが見える。そして主役(?)の馬のお尻が捉えられている。当時の交通手段は馬であったが、十分世話が行き届いていない限り衛生的とは言い難い。何処でも馬糞がたれ尻毛にベットリと付くのが常である、其れを会えて画面に取り込んでいる、異色な作品である。最後まで迷ったに違いない、これは如何なものかと。

 

 

 

 

一番上の写真は今年の正月明け、寺院の山門から本殿に向かう参拝者を写してみた。上下を黒服で覆い黒い帽子を被り、山門の直径が有に1,0mはある柱にもたれながらシャッターを切った。群衆の中で一人だけ気づいている女性がいる。よくよく探さなければ気付かないはずであるのに(女性を撮ろうとはしていないのだが)二番目の写真は夏の炎天下、祭りの日の大通りの写真である。例にもれず多くのカメラマンが私の左右に陣取っている。何気なくシャッターを切った、その後気がついた、なんと皆の視線が集まっている事に。勿論知人にあらず。三番目も同じ日の大通り、駆けつけた時には道路の両脇は先客で溢れかえっていた。二列目をなんとか確保して山車を待った。先頭は20-30名の子供達がロープを引いて山車を先導するのである。其の子供達の中に少女を見つけておもむろにシャッターを切った、次の瞬間にはもう通り過ぎていた。其の少女は豆絞りの手ぬぐいのほつれた糸屑を引っ張り捩じり、少年はその仕草を前から見ていた。何が起きていたのか知る由もない、パソコンで開くまで。其処には時の共有があり小さな小さな物語が生まれていた。子供達は撮られた事を知らず、私は物語の内容を知らなかった。

 

 

 

 

2018/02、これ程雪が少ない年は初めてである。聞くところによると、100年以前はこの様に雪が少なかったらしい。早速記録と相成った。通行人が少ない時を狙ったわけではない、人がいないのである。

 

X-100FWである。目がショボクなってくるとAFは欠かせない,フレームの周囲を見渡せる事は何事にも代えがたいが35mm1本では少々キツイ,28mmと50mmのアタッチメントも用意されているが、使い勝手が悪くあきらめてしまった。。透視式ファインダーは35mmと50mmの為に作られたのではと思えてならない,ライカを考えればそれは当然の事かもしれません。使用目的にもよるが、視野率100%を各社の誇りとしている様であるがEFVの中に少々小さいフレームがあれば事足りてしまう。

ウン十年か前に(笑)ローンをはたいて購入したM4-PとM4である。
デジタルが主流になるにつれて、棚の飾りなるのを救済。半世紀を
過ぎてもなおウーン健在である。但しファインダーは霧の摩周湖に
近づいてきた。

フィルム時代にTX-1、TX-2というカメラを使用した事があった。いわゆるパノラマであり、横長比が24:64程であったと記憶している。この比率が実にしっくり来た、新鮮な発見であった。それ以来デジタルで販売されるのを待ちわびていたが、一向にその日は来ない。ところがなんと中版だと画素数をあまり犠牲にせず可能だと気付いてしまった(大袈裟ですねぇ)終の棲家ならぬ終の写真機である(本当かなぁ?)ところが1:2.7は年齢的は少々きつくなってきたので、今は9:21のアスペクト比にて使用中である。ああ、勿論フジフィルムさんには追加を電話でお願いしました(笑)パノラマとはいっても一般の視野を横長に切り取ったのみであるから、本来のパノラマとは意味合いが少々違う、待つことに終わりは無さそうである。

 

金沢

 

武家屋敷跡 野村家 濡れ縁上に吊り下げられた灯篭

 

主計茶屋街 朱に塗られた建物が気になる、待っていたが和服の美人には出会わなかった。

 

 

武家屋敷跡 野村家 1階廊下から2階の階段へ(石造り)上った右側が茶室である。

 

 

今回はGFX50Rを72回のローンで購入(笑)初使用である、レンズは高額故に45mm(35mm)1本で勝負です。

 

新潟

 

んん、この静謐な空間。思考が闇の中に吸い込まれてゆく。

 

 

私の所では、正月になると鰤を一匹購入するが、この様に保存する伝統は無い。村上市で地震がありましたねぇ、被害は如何でしょうか?

 

 

北方文化博物館、旧長谷川家住宅、旧笹川家住宅他である。今回はなんとレンズが追加となった32mm-64mmである、少々重いが使い勝手は良しとしよう。見学先では美味しいお茶をご馳走になった、嬉しい限りです。そのうえ色々な話を聞かせていただいた、一旅人として。旅で正体は明かさない。

 

功徳林大洞山 霊松寺

〒398-0002 長野県大町市山田町6665番地

寺務所:〒398-0002 長野県大町市白塩町1076-5番地

TEL:0261-22-0377 FAX:0261-23-0823

 

霊松寺の秋、背景に見えるドウダンツツジは樹齢70-80年は悠に越しているであろう。

 

時として秋に雪が降る事がある、もう7-8年前の話であろうか。パノラマ合成。

 

毎年趣を異にする紅葉の様は最大の楽しみである。

 

11月の中旬小雨の日、紅葉は雨の日が似合う。パノラマ合成

 

 

12月下旬、降り積もる雪は春まで解けない。パノラマ合成

 

晩秋の夜中に人知れず銀杏が一斉に落葉する。夜半に写真を撮っていると5歳の孫から電話がくる。
爺、何してるの?
銀杏の写真を撮っているんだよ。
何してるんだか!風邪ひくから早く帰りなぁ。
あっああ・・・・・。
この後どうしたかって?もちろん機材を片付けて帰宅です。

 

2004年に落成となった鐘楼である、朝と夕刻には自動で鐘が鳴る。

 

時の流れ

 


先日昼食を終えて車に乗り込むと、ウインドー越に3人のご老人が見える。小旅行であろうか?県外ナンバーである。熱心に案内板を見つめ何やら話しているが、声は聞こえない。一人は肩の上部が曲がり、もう一人は腰が後ろに倒れ、最後の一人は正に腰が曲がっている。80歳を超えたくらいだろうか?歩んできたそれぞれの人生模様を体に刻み付けながら。

 


5歳の子供達、満ち溢れるエネルギーが心身を満たし全てはワクワクの中にある(ムンクではなさそうだ)

 


50年前そこでは平和な生活が営まれていた。荒れ地が水田に変わり、道が整備され、住宅に代わって作業小屋が出来た。それでも空き家になった古びた住宅が「時間の芸術」を纏って、人知れずたたずむ姿は人の心を打たずにはおかない。

 

制作過程

 


GFX50Rはセンサーサイズが33*44ありトリミングには好都合である。24*36用のレンズもマウントアダブターで十分使用することが出来るが、33*44いっぱいに使おうとすると、イメージサークルが大きくなければケラレる事になるのは言うまでもない。私的には9*21のアスペクト比にて切り出している、縦構図は無い(笑)24*36の時もこの方法を用いていたので解像感はかなり違う。どうしても精細にしたい時はパノラマ合成である。横長のセンサーが現在は無い今、もったいない努力でカバーするにかぎる。

 


上記を切り出して、アクロスのモノクロに変換。

 

上越

 


「上越の雁木」の話は何回も聞かされてきたが、訪問するのは今回が初めてである。

 


ふと見ると自主防災の看板、奥には燃料タンクらしき物が。外壁の錆が時の経過を虚実に物語っている。

 


「高田小町」地元の方が集う場所。内部の露になった小屋組みは、貫が取り払われ筋交いで補強されていた。

 


高田公園の周囲は堀が巡らされ、一面の蓮に覆われている。今の季節は渡り鳥が訪れ、その光景にカメラを向ける人達に良く出会うと、私に話しかけてきた老人は語る。白鷺はいないと笑う。

 


秋といえ肌寒い日には、ベンチに座る人もいない。隣ではおばさんが雪囲いに余念がない。

 


春から夏にかけて、草食にアルバイトに出かける。もう、其のアルバイトも終わりに近いようだ。「あの時のあれは、あれななぁ〜」そう、囁いていそうな。

 

埼玉県(川越市

 


ここは東京にも近いことから、なんと人通りの多い事!加えて車の往来が混雑に拍車をかける。だが不思議な事に、通りを吹き向ける風は爽やかだ。

 


3人のお連れさん?いやいや、赤の他人の様です。他人でも一緒に渡れば怖くない。

 


芋の饅頭を販売しているお姉さん(おはさんかな?)の笑顔が素晴らしい、でも買わないぞ!下の穴から空気が漏れるのだぁ。

 


蔵造りの町から南東に2〜3kmであろうか、喜多院(慈恵堂)の境内である。色とりどりの傘が並べられ来館者を楽しませてくれる。

 


甘酒をモノクロにしたら、何となく甘くなくなった。これはカラーが適任かもしれない。

 

群馬県「富岡製糸場」

 


ここは世界遺産となった生糸の織物工場である。繭から糸を紡ぐのを見学する事が出来る。子供のころに手伝わされたものである、中の蛹はどうするかって?勿論夕食のご馳走である。
繭の端を引っ張ると絡まった糸が解れてくる、ひつこく引っ張っていると1本になるから不思議だ。あの楕円形の繭は1本の糸から出来ているのだ、んんん蚕は凄い。

 

長野県大町市:仁科神明宮(式年遷宮)

 

本殿の前に佇んでいると、突然神官が前を通り過ぎる。足音は聞き取れない。

 


人々は新年からお神籤を買い求め、書かれた言葉に一喜一憂する。あらら、それを決めるのは、貴方の思考だ!

 

長野県大町市:若一王子神社

 

 


焚火に手をかざしながら暖を取っていると、5,6歳の女の子が両親に手を引かれながら参拝にやってきた。両親の礼をよそに、ふと振り返るとおじさんが私を拝んでいる?小さな物語が続いてゆく。

 

長野県駒ケ根市:光前寺

 

 

長野県小川村

 

 


当時の生活の痕跡をそのままに残しながら、朽ち果ててゆく住居。表札には女性一人の名前が記されていた。

 

長野県大町市

 


何十年来通り過ぎてきた変哲もない脇道。心のフィーリングに誘われて車を止めると、今まで隠れていて分らなかった水鳥が、手前の草むらから現れ、向かいの岸に向かって歩き出した。先頭の鳥は氷が割れて落っこちてしまった。後続の鳥は何事も無かったかのように、平然と歩を進める。ほんの1分ほどの出来事であった。

 


自然の劇場に予約は出来ない。

 

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